原稿の執筆依頼から思う事

数日前、私の元へ一通の茶封筒が届きました。普段、私の元に届く郵便物は見慣れたものがほとんどなのですが、今回は「何だろう?」と思って見てみると、表面の右下にこのような印字が押印されてました。



封書を開いてみると、『住まいと電化』という月刊誌の3月号(2013年)に「被災地のリフォーム―その現状・課題とこれからの展望」というタイトルでの執筆依頼でした。



私は震災直後からずっと、住宅復旧工事を続けて来た経験を通し、被災地で実際に工事に携わって来た者として「被災地以外の人、特に同業者に対し、同じような状況に遭遇した際の、採るべき対応をお伝えする義務がある」と考えるようになりました。今でも被災地では「建築業者がやりやすい工事だけやって、後は知らん顔」「私達から見て、明らかに不適切な工事(業者側がやりやすさ、自分に出来る事、といった判断基準で行ったとしか思えない工事)」といった事態が日常化し、生活者が泣き寝入りをしているに等しい状況も見受けられるんです。

実際の工事に際してはお客様のご予算もあるので、それとの相談も必要なのですが、例えば「家が傾いてしまった場合の復旧工事として、どういう事をすべきなのか」「応急対策の後には、地質や地盤の問題も含め、どんな対策まで打っておく必要があるのか」といった事を知りたいという、被災地にいない同業者が多いと思うのです。そういった方々に是非、私が実際に携わって来た経験から得たあるべき取り組みを、お伝えしたいと考えています。

話しは変わりますが、通常のリフォーム会社の人間が、雑誌の投稿記事を書くのは稀なのではないかと思います。私自身の過去を思い起こせば24年以上前になるのですが、大阪で大学生だった頃、ゼミの先生が出版社へ提出する原稿のチェックをしたり、締め切りギリギリになって大阪中央郵便局から速達で郵送したりと、こういった事には、結構関わっていたなと思い出します。しかし私はその後、大学院には進まず、一般の民間企業に就職しましたので、物書きのような仕事とは全く無縁の生活を送るようになっていました。それから様々な紆余曲折があり、今に至っている訳です。

そして私が最近、当時の事を振り返るようになって来た理由は、私をご推挙下さった先生から「安部さんと話してたら、いつも『住まいの街医者』みたいだなと感じるんですよ」と仰って下さっている事です。

この言葉に私が因果を感じるのは、私の学んだ学校が、大阪で天然痘の種痘治療を行った緒方洪庵の適塾を母体にしているという事です。緒方洪庵と言えば、大阪の街医者でもあり「牛の種痘を人間に打ったら、牛になってしまう」と言われていた風評に負けず、天然痘治療を成し遂げた人という事で有名です。



<今の適塾>

司馬遼太郎氏が「花神」の冒頭で「『適塾』という、むかし大坂の北船場にあった蘭医学の私塾が、因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている。宗教にとって教祖が必要であるように、私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるが、その点で、大阪大学は政府がつくった大学ながら、私学だけがもちうる校祖をもっているという、いわば奇妙な因縁をせおっている」と書かれています。24年前に社会人になって以来、色んな仕事に取り組んで来た訳ですが「最終的に行き着く先は、自分自身の原点なのではないか」という思いを強くしているところです。分野は違えども、本質的な部分では、素晴らしい校祖の意志を少しでも継いだ仕事が出来るなら、望外の喜びだと思うのであります。

であれば、一般論に流される事なく、地域の生活者に正面から向き合い、自分自身の役割を果たすべく精一杯の取り組みをして参る所存です。

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